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【トロッコ】

30歳の頃発表された作品。

2015年7月「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹さんが「サワコの朝」で触れていた「トロッコ」。

又吉さんは「トロッコ」を読んだ時、

「めっちゃわかる!」

「自分にしかわからないと思っていた感情を自分以外の人が表現している」

と感じたそうです。


又吉さんと芥川龍之介の出会いを聴いて、私も「トロッコ」を朗読したくなった訳です。

8歳の良平の細やかな心の動きが、周りの風景の描写とあいまって、切なくも美しい。

半日程度の旅かもしれないけど、それはまるでモーリス・センダックの

「かいじゅうたちのいるところ」

のように、時間を超えた大人への旅のようです。

皆さんは、どう感じましたか?


【吉田精一氏の解説より抜粋】

「トロッコ」は、子供の時代こそあつかっているが、彼の佳作の一に属する。

材料は湯河原出身の雑誌記者の原稿をもとにしたもので『一塊の土』も同じ人から材料を仰いだ。だから『トロッコ』の最後の数行はフィクションや「落ち」ではなく、この作のテーマになっているのである。

すなわち心細さに泣きたい気もちを我慢しながら、暮れかかる線路道を、無我夢中で走りつづけた幼児の記憶が、雑誌の校正などという、およそはえない、末の見こみさえ心細い仕事に妻子をやしなっている校正係の中によみがえる、というのである。

幼児の記憶は、よその国からの便りのように、何か童話めいた色彩を帯びている。喜びも悲しみも、ぶどうの房の上にうっすらとふいた白い粉のようなものでおおわれて、現実ばなれのした一つの世界の中でゆれ動いている。しかしかすかに、現実の世界とよびかわす何ものかがある。日々たそがれのようなうす暗い生活を送っている校正係に、ふとよみがえった記憶もこのようなものであろう。

たれにも思いあたる子供のころの乗物へのあこがれ、それは汽車さえ通っていない片田舎の少年にして見れば、いっそう強いに違いない。そういうあこがれが、思いがけなく身近なものになったトロッコに集中される。主人公の少年が土工になりたいと思うところで、土工の方にそれよりつきつめたものが感じられる。

文章は簡潔で、要領を得ているが、とくにみごとなのは、思いがけず望みを達してのちの、良平の心理の変転の捕捉であろう。良平は工夫たちを「優しい人たちだ」とひとり合点し、ひそかに満足を味わっている。日が暮れかかり、遠く気すぎたことが気がかりになっても、最後の宣告をきかされるまでは、心のどこかに気強いところがある。ところが工夫の無造作な一言による最後の宣告が、良平の気もちにどんでん返しを食わせる。ここに彼の感じた人生の象徴がある。「よもや」をたのみにして、次第々々に深みにはまって行く。気がついた時にはひきかえせないものになっている。そういう実人生の象徴がーーー。良平の帰途を急ぐ様子、ことに村に入ってからの描写はすぐれており、凡手のよくなし得ぬ名品となっている。
(昭和43年10月、国文学者)

【本の紹介】