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【朗読の日に寄せて】

「朗読とは瞑想である」というお話です。

私は、文字が読めるようになってから、目に映る文字を声にして出すのが小さい頃から大好きでした。

例えば、車に乗っていて、目に映る看板の文字をかたっぱしから声に出していました。

多分、相当うるさかったと思います。

もしくはそんな私を両親は目を細めてみていたのかもしれません。

 

幼稚園に上がるまえの4歳頃でしょうか。

母に連れられてよく行っていた中の町商店街。

そこのお店のおばちゃんたちに、「りーこちゃん、新聞読んで」と言われて、ひらがなだけ拾い読みした。

その言葉の繋がりがおもしろかったらしく、おばちゃんたちにとてもほめられ、お菓子をいただいたのが、私の最初の成功体験かもしれない。

復帰前の沖縄は、本土に追いつけ追い越せとばかりに、標準語に力を入れていたようで、小学校では、お話大会なるものが、毎年行われていた。

それに私は、毎年学年代表として出ることになる。母が毎回練習に付き合ってくれて、励ましてくれたおかげもあり、続いていたのだと思う。

 

4,5分の童話を暗記してみんなの前で発表するのだが、何度も何度もくりかえし覚え、体にお話を染み込ませ、完璧にして臨んだものだ。

その時、私の口から出る言葉は、私が考えたものではなく、ただ、音として身体の中を風が吹く感覚なのだ。

私は言葉と一体となり、私自身は消える。

そんな感覚。

 

大人になった今もそうだ。

覚者の言葉や、文学作品の言葉を朗読する。

美しい言葉に出会った時、理由もなく、涙があふれる。

理由も理屈もいらない。

ただ、その美しさに打ちのめされるのだ。

そして私が消える。

それは、瞑想と同じだ。